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色彩の下

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2008年 12月 09日

水溜りを蹴る

雨。寒い。
東京都現代美術館ワークショップ打ち合わせ。
言語には種類があり、「伝達する為の言語」、「考える為の言語」は別なのだろうと思う。
普段は自分の絵画を考える為の言語を使用しているけれど、打ち合わせでは伝える為の言語を長い時間使用しなければならない。
でも、説得力のあるのは「考える為の言語」のほうで、ワークショップの内容を伝えている時にはお互いにピンときていない感覚、かみ合わない感覚があるのだが、途中の雑談の中で自分の言語を重ねるうちに段々と理解が得られてゆく感じがする。
水溜りを蹴る_f0082794_12432551.jpg

内容を伝達する為には毎回ほとんど同じ内容を必要な分量話さないといけない。
それを繰り返すのは、なんだか不思議な感じがする。
言語と自分が離れてゆくような感じ。
これがひとたび会話の形式をとっていて、一方通行な伝達じゃないようにすればもっとしっくり来るのかなと感じる。
大学の講義や講演等も、教壇からの一方的な言語では伝わらず、同じ内容でも対話形式だと伝わったりしないだろうか?
逆説的に、教壇からの言語に対して、聞く側が対話の受け皿(共有の問題意識とも言うか)があればより深刻に理解できないだろうか?

・東大和小学校
・第三吾嬬小学校

by uchiumiinfo | 2008-12-09 23:59


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