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色彩の下

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2008年 07月 29日

アンリ・マティスと上島竜平

アンリ・マティスの作品の良さを人に伝えるのは難しい。
美術に携わっていないが興味のある母親にいかに伝えようか…。
マティスは美術史上最も重要な作家の一人であり、現在もその地位を不動の物としている。
色彩の画家と言われるが、その線も油絵も晩年の切り絵も美しいオールラウンドプレーヤーである。
マティスの美しさを知るにはマティスという存在の位置を理解しなければならない。
例えばダウンタウンという芸人がいる。
彼ら自身の番組「ガキの使いやあらへんで」で、昨今のお笑いブームとは一線を画したお笑いを展開している。
面白いという方向性に「不快面白い」とか「詰まらな面白い」とか「イライラ面白い」とか、ダウンタウンでなければ笑えない場所にいる。
その笑いが成立するには「ダウンタウンが面白い芸人だと理解されていること」が条件となる。
ダウンタウンを知らない人間が観たらもしかしたら不快に思うかもしれない。また同じ事を無名の新人芸人がやっても不快の域を超えられない。
ダウンタウンという免罪符により、その行為は「詰まらない」という疑惑のタガが外れ、「面白い」に転嫁する。
しかしダウンタウンは画家で言えばピカソに近いかもしれない。
確実な解りやすい実力を兼ね備え、また着実に評価されている事も周知で、あからさまなデッサン力を感じる。それを持った上で、美術の可能性を押し広げた。
そこで上島竜兵である。
ダチョウ倶楽部という三人組で爆破と泥にまみれているうちに、いつの間にかダウンタウン他トップ芸人とは異質の高みに登りつめた先駆者である。
彼はどんな場所でも最終的に最前線に押し出される。
押し出されながら明らかな(?)ノープランで臨む。(経験に裏付けられた無策?)
そして、そこで「場が引く」とは異質の「つまらなさ」を生む。
言葉で言うのは難しいのだが、つまらなさでの爆笑。面白下らない。
つまらなさを売りにしている芸人は他にもいる。ふかわりょうや山崎邦生がそれである。しかし、それらはウッチャンナンチャンやダウンタウン等、そのつまらなさを受け入れる存在が近くに居る事で成り立っている。
ダチョウ倶楽部・上島竜平はそれらが到達しえない高みにいることで、そのつまらなさを許す免罪符の様な物を自身で獲得している。
つまり、何をしても面白いという場所に居る。(それはあくまでダウンタウンとは別の位置で。)
そこで、マティスなのだが、マティスも「その作品を美しいと見て良い」という免罪符を獲得しているのではないだろうか?
つたなそうに見える線も、荒く見える塗りも「美しいと見て良い」という免罪符により、より疑念無くその美しさに鑑賞者は没頭できる。
それこそ「美しいということに自由だ」とも言えるのではないだろうか。
マティスの手を経由することで、真に美しさに埋没できる。それは鑑賞者にとってとても幸福な事である。
マティスの存在は絵画ばかりでなく絵画に向かう鑑賞者の意識までも問うている。

by uchiumiinfo | 2008-07-29 23:59


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