入力媒体としての人間を信用する。
「作品を観る物」としての「眼」を信用する。
パソコンで言えばデジカメの部分を信用する。
それを信用できなかったら悲しすぎるだろう。
それを出力する時に選択を誤ってしまい、間違いを犯す。
眼の精度自身は疑えない。
僕は確実に自分も解らない量の色彩を置く。
それは見えているハズなのだが、理解は出来ていないだろう。
それでも、いつか見たときに解るかもしれない。
それに対して「遠くまで投げる」という表現を使う。
取れなくても良いので、自分の筋力の限界まで投げる。
僕は自分に手渡す作業をしているワケでは無いハズよ。