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色彩の下

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2010年 12月 29日

ガイブ

みすぼらしい偏見と予断ととるにたりない知識を必死に守っても生きてゆけない。
何が出来ないか。出来ない事をなす為に何が必要かを直視しなければならない。
真の価値は外部にある事を受け入れねばならない。

なんかの本に載っていた言葉。内田樹かな。。

私の無意識は私の中にあるのではなく、外に散らばっていて後で出くわす。

清水穣の著書でのリヒター/アトラスに対する記述(フロイトを引用)。

感覚的な事ってそれだけで自存しているわけではないので、他者に認識されて初めて発生する。
僕がいくら作品に対して「これはこうなんだ!」と力説してもダメなんだと思う。(もちろんその様に自分が考えている事は必要だけれど。)
それは、作家の場合「作家である事」も同様だ。
「僕は作家なんだ」と言ったからってそれが作家である保証にはならない。
野菜を売っていれば八百屋だし、役所で働いていれば公務員なのかもしれないが、小説を書くから小説家ではないのだろう。
小説を描いて、それが小説だと認識されて小説家なのではないだろうか?
すると、対外的には自分の作品を認識させ続けなければいけない事になる。
その人が作家であると認識されるのが作品によってであるのならば、作品を作成している時間は別に何者でも無く、作品が生まれて他者に認識させてから、初めてそれまでの時間を作家として獲得するという形になる。ヘンリー・ダーガーなんかは、死後に作品が発見されて初めてそれまでの時間を作家として獲得したと思う。
考えたら怖くなってきた。
自分で制作者である事を充足できるならそんなこと関係ないのかもしれないけれど。。ヘンリー・ダーガーは生前、自足できたのだろうか?そんなこと関係ないという突破者だったのかな?

作家は、絵でも哲学でも詩でも音楽でも、職業という面と生き方(考え方)という面の両方があると思う。
人によっては双方を獲得する必要も無いのでややこしい。

※八百屋も公務員もそのように分けたら、それを職業としているだけで考え方が八百屋/公務員っていうわけではないか。。
そう考えるとこの話全く実が無かったなぁ。。
職業になっているということは、それだけで圧倒的に他者に認知されているという事だけ分かった。
誰にも知られていない八百屋さんは食べていけないからね。
おしまい。
ガイブ_f0082794_1621977.jpg

・シネマライズ:バスキアのすべて
制作風景見ると筆の動きがとても速い。

by uchiumiinfo | 2010-12-29 23:59


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