大阪でタクシーを停めようと手をあげたら、かなり強引な車線変更で僕が見ていたタクシーとは別のタクシーが停車した。黒いバンダナをした運転手さんだったので、ちょっとヤバいなと感じた。
乗車後、かなり酷い駄洒落を連発して「東京にはこんなにオモロいタクシーの運ちゃんおらんやろ」と言っていて、面白いにしても美しいにしても外部からの判断で成立する物なんだなと思った。
本人がいくら「面白いだろう」って言っても、それは成立しない。
発信する本人も最初の外部なんだけれどね。
これは「美しさ」を語るときの大きなネックで、作者は「私の美しさ」と言うまでしか出来ず、他者がそれを共有していなかった場合その「美しさ」の定義から先に行けない。
たぶん、そこを棚上げして先の視点まで進まないと、言葉を合わせる作業に終止してしまうのかもしれない。
「いい絵ってなんですか?」ってナンセンスじゃない?
「いい音楽ってなんですか?」
「いい味ってなんですか?」
「いいプレーってなんですか?」
取り出せるもんじゃない。