大橋歩氏のエッセイに、舟越保武氏の本からの引用があり、大体の内容は「人が誰かの後頭部を観て、それが知人であると気がつくのは、人と対峙する時に顔だけでなく、頭として量感を持って捕らえているからだ」という感じのものだった。
絵画は正面から見るという認識があるが、実際人はものを見る際にあらゆる角度から認識しているはずだ。
証明写真は被写体を正面から切り取ったものである。
それはカタログで観るかのように、ある断片を切り取ったもので、その情報の少なさから、他人の免許証を見たときに違和感がある。
スナップや動画のほうが切り取っているといっても違和感が少ない。
絵画がありそうな場所に絵画があることで、何かを得るかわりに何かを失う。
アトリエにあったときにあった何かや、僕が得た質感の何かを失う。
さまざまな展示でそれを気にしている。
「千手」は少しそれを強く意識した事は確か。