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2015年 07月 15日

井上さん

あの井上さんが個展にいらしてくれて、作品について話をさせていただいた。
隣のショップでイベントがあったので、ついでに寄られたとのこと。
とても嬉しかったので、沢庵のピンバッチを購入。
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by uchiumiinfo | 2015-07-15 00:00
2015年 07月 14日

moonwalk 終了

個展終了いたしました。
多くの方にご高覧いただき大変有り難く思います。
このような機会に恵まれました事に感謝いたします。
ありがとうございました。
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今からトラック返却〜。
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by uchiumiinfo | 2015-07-14 14:29
2015年 07月 05日

moonwalk 作品について考えていた事

moonwalk 作品について考えていた事

個展の会期終了ががもう1週間に迫ってまいりました。
以下、内海聖史個展「moonwalk」の制作の際に考えていた事をまとめます。
まだあまり推敲もしていないので、あとで直します。
作家である僕は基本的には鑑賞する方が以下の文章を読まなくて良いと思っています。
しかし、今回はちょっと不親切な点もあるので、一応文字化してみました。
作品を鑑賞し、何か引っかかったり、解釈をしたい場合には、軽く参考になさってください。
結構長いですよ。


●黄色い絵について
絵画を描くことについては、特に取り決めがあるわけではないので、誰もが好き勝手に制作ができるのであろうと思う。
特に僕のように抽象的な表現であれば、尚更自由度が約束されている。
その自由度を拘束するために、様々な条件を当てはめる。
感情だったり、気候だったり、そのギャラリーの照明だったり。

しかし、その条件すら作家が恣意的に選択できるので、そこに作家自身の「自由の認識」を読み取ることができる。
その自由選択の総体として主に選ばれる色彩はおそらく、赤(朱)青白黒グレー茶のどれかが多いのではないかと常々思っている。
緑黄色ピンク紫等は、比較的メインカラーとしては選ばれにくい。
固有の対象を描く際には、例えば風景の緑、ひまわりの黄色、桜の桜色等はあり得る。また、少女性等特定の感覚を強調するためにピンクを出すことはあるが、それはピンク色を主眼とするよりは、ピンク=少女という色彩の持つ意味性を獲得するためともいえる。
単に色彩として選択する時に、ある色彩に偏るということ、それ事態が無意識な認識の発露ではないかと。
もちろん、メインとして選ばれ難いだけで、どんな色も作品の中には使用されるのであるが、あくまでメインカラーとしては選択され難いということである。
黄色の抽象的な表現で思いつくのは、ルイス・バラガン邸に掛かっているジョセフ・アルバースとかかな。
参考画像
そんなわけで、「でかい黄色い絵って観たことないな~」ということで黄色の絵画を作成した。

●作品のサイズ
黄色の作品のサイズは、h10000×w7605mmである。高さ10m、幅7.6mとなる。
僕の制作は主に、建築の状況、環境に合わせて制作している。
例えば、ギャラリー内の導線や照明、空間の形やサイズによって見せ方を選択している。
今回展示するA/Dギャラリーは、森美術館へ行った際にはなるべく観ている空間である。僕の第一印象としては、「絵画を展示するとメインになる壁から自分の身体が遠い」というものだ。
ギャラリー空間は一辺が8m以上あるのでなかなか広く、鑑賞者の身体が端角から入る為に、入って左手奥の壁をメインに据えようが、入って正面の壁をメインに据えようが、身体からのアプローチが遠い。
さらに、正面側の壁にはスタッフルームの入り口がある為に、作品を置く位置の重力も左手左手に流れる為に余計に遠く感じてしまう。
また、床も壁も白いので、かなりの量の作品を置いても壁の面積が多く、全体に白い展覧会になりがちなのも、空間から身体を遠のかせる原因かと考えられる。
そこで、空間を無視して大きな作品を置くことを考える。
僕には、絵画は建築の従属物だという認識があり、絵画を空間に即して考えるということを何年もしていたのだが、今回は反対に建築から逃走する、よける、避ける、離れるというような事を考え始める。
仮定として、このA/Dギャラリーだけでなく、ほとんどの建築から離れるにはどれくらいのサイズが必要か?
A/Dギャラリーはh2700mmであり、照明など加味すると最大h2500mmのパネルサイズで作成するとして、その何倍で建築から離れられるか?
×2で5mでは余裕で美術館でも展示できる。×3の7.5mではエントランスなどには充分展示出来る建築がある。ということで、×4で10mあれば大抵の建築から逃れる事ができると考えた。
これによって、黄色の作品は「空間を物理的に超える」という手法で空間から離れようと試みた。

A/Dギャラリーにはもう一点、ギャラリーの外のショウウィンドウ型の展示スペースがある。
こちらは、h1158 ×w1158mmの正方形の絵画である。
このサイズは、ショウウィンドウのサイズから選択されているように見えるがそうではなくて、「月」のサイズから導かれている。
wikipediaによると月の直径は3,474.3kmである。これの300万分の1が1158mmである。
3,474,300,000÷3,000,000=1158.1mm
「全く建築と別の由来をもって作品のあり方とする」事で、建築から離れようとする試みである。

どちらの作品も、「これ実は10mあります」とか「この作品のサイズは月の300万分の1です」と聞くと、一瞬10mの高さや月の大きさを想像する。
その想像をする時、A/Dギャラリーや六本木ヒルズなどの建築が消える瞬間があるのではないだろうかと考えた。

ちなみに、建築から避ける絵画の最たる物が既製サイズである。
しかし、僕自身の作品が建築と絵画との関係を理解する為に既製のサイズから離れて空間を作成する仕事をしているので、既製サイズ以外の制作より模索した。
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●灰色の絵について
ショウウィンドウの1158mmスクエアの作品は灰色の絵の具で描いている。
この黄色と灰色は「月」を認識する際に現れる色彩である。
月は地上で見ると黄色く見えている。
しかし、月は岩石の星なので主要な成分は斜長石+かんらん石と玄武岩であり、岩肌の色、白~黒(灰色)が実際の色になる。
「月の画像です。」と黄色の月と灰色の月どちらを見せられても、大抵の人は違和感無く「月」であると認識出来る。
現在、月に降り立った人間は12人。月の軌道に乗った人間でも24人なので実際に「岩石としての月」を肉眼で確認したのはそれくらいしかいない事になる。
ということは、地球上のほとんど全ての人は、素材としての月を見て確認していない。
しかし、月は岩石であるということを知識として知っていて、それらが分ちがたく結びついているので違和感無く黄色でも灰色でも「月」だと認識出来るのである。
黄色の月は地球から視認している月で、グレーの月は知識の月である。
絵画は光を見ているのか?素材を見ているのか?知識や物語を見ているのか?
その問題が、月では物理的に近づけない為に乖離しているので、その両方の色彩の絵画を制作した。
(岩石の灰色も光源のもと見ているというのはこの際置いておきます。)

●展示方法について
黄色の作品(ギャラリー内)も灰色の作品(ショウウィンドウ)もそのまま見たらそのスペースに合わせて制作、設置したように見える。
しかし、その制作由来を知る事で、空間を消せるのではないかと考えている。
黄色の作品は、2012年の個展「方円の器」にて発表した黒い作品(方円の器(黒)/h2270 x w12070mm/2012年)の設置方法に近い。
だが、黒い「方円の器」はギャラリー空間に合わせて作成した作品で、ギャラリーの構造に合わせているが、黄色い「moonwalk」は建築を避けた形態をギャラリーに合わせて設置したもので、空間へのアプローチが全く異なる作品となる。
Moonwalkの作品の間を通り抜けるとそこに青焼きされたドローイングが展示してあり、その青焼きと会場で配られるリーフレットに記載されている作品サイズを確認すると、会場内にある全ての作品がh10000×w7605mmの1枚絵であることが分かるという仕組みになっている。
ちなみに、「建築から避ける」とはいえ、建築を由来に作品を造っているので、建築で使用される青焼きにてドローイングをプリントした。
青焼きは2016年3月で関連素材の生産が終了するので、制作に絡めるのは今しかないかなと感じた。

●タイトル「moonwalk」について
当然、マイケル・ジャクソンの代名詞ともいえるダンス「moonwalk」から借用している。
マイケルのmoonwalkはまるで重力が無いかのように軽やかに地面を滑る動きだが、本当の月面での歩き方は“ふわふわ”“のしのし”という感じなので、それらは全く別の動きとなる。
しかし、マイケル・ジャクソンのmoonwalkは名称と動きとが人々の認識内で合致しており、ファンタジーが現実を凌駕しているので、空想で組み立てるこの作品に近いのではと思いこのタイトルを選択した。


以上、ここまで雑ながら文章化をしたが、これが僕の制作の意味とかコンセプトでもなんでもなく、単に制作する為に考えていた事というだけであり、月の色彩を描いたとか無重力を感じさせるなどという目的は元来持っていない。
僕の制作はあくまで絵の具の操作であり、それ以上でもない。
色彩は素材として等価であり、絵画のあり方もあまりに自由なため、それを上記の言語で縛りながら制作を進めたというだけである。
黄色の絵と灰色の絵を描いた。ただそれだけ。
その、なにかを描いたわけではないなにかが、なにかを引き起こすのではないかね?
「絵画」としか言いようのないなにか。

2015年7月 内海聖史
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by uchiumiinfo | 2015-07-05 00:00