色彩の下

uchiuminfo.exblog.jp
ブログトップ

<   2010年 02月 ( 30 )   > この月の画像一覧


2010年 02月 28日

16号

何かを観たいというのを唯一の動機として進む。
司馬遼太郎
f0082794_64156.jpg

作為的に行動するのではなく、無為にすすむこと。


県境ってレンタカーの不毛地帯になっている。
駅が無いからかな。。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-28 23:59
2010年 02月 27日

コーヒー

過剰な意味はない。
画面に絵の具が乗り、それが僕の中で関係を結んでいる以上の意味は無い。
f0082794_55046.jpg

↑この、メンメンというキャラクターが、なんかゾワゾワ怖い。。
きん肉マンの初期に出ていた、カニベースに似ている。

片付け。
すごい眠気。
僕は眠気にかなり弱い。
一瞬で落ちる可能性があるので、運転は注意。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-27 23:59
2010年 02月 26日

番号!

順番を明らかにしたい。
どのように認識して、どのように判断して、どのように出力しているのか。
f0082794_5454871.jpg

[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-26 23:59
2010年 02月 25日

アース

・東京都博物館:長谷川等伯
人が多いと厳しい・・
智積院で観たときは感動したし、昔東博の常設に不意に飾ってあった時も感動したのだけれど。。
・メグミオギタ ショウケース:荻野僚介 "スティル・ライフ"
オペラシティの初期プロジェクトNで観て以来、個人的には最近名前を目にできて嬉しい作家。
今年1月に制作でどうしても行けなかった「マスキングと絵画」という展覧会がとても観たかった。
企画の視点が珍しく、展示作家も尖った人選だった。
・六本木ミッドタウン:TIME & STYLE MIDTOWN VOL.9 西村智弘 企画 イクタスVOL.1 千葉鉄也 榎本裕一
千葉鉄也氏も久しぶりに名前を見た。
絵の具の使い方が独特で、かなり好きな作家。
以前ユマニテで見た展覧会が印象的。
今回も素材感が良かった。
・横浜ZAIM:「YOKOHAMA創造界隈ZAIMコンペ2009」大山エンリコイサム×荻野竜一
ZAIMとBANKARTは別だった事を初めて知った。
そして、ZAIMはこの展示で終了。
広い空間で見たかった。
・横浜美術短期大学卒業・修了制作展:みなとみらいギャラリー
・ギャラリエアンドウ:二木 直巳
パーティーに参加。
f0082794_5361736.jpg

堅い席にいるときって、常に「これは何だろう」と考えている。
これは小学生のときの入学式から、友人の結婚式まで変わらない感覚で、その時になってまた続きを考えている感じ。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-25 23:59
2010年 02月 24日

情報共有

個人以外の思考
社会や集団としての思考

個人に思考があっても、社会や集団のなかではその思考が成立、認識、実行されるわけではない。
例えば、自分の細胞が全てバラバラに思考しているとして、実際にその思考を一々くみとって僕の身体が行動するわけではない。
身体がしんどくても作業はするし、疲れていても出かける。
ただ、細胞はしんどいとか危険だというサインを出し続ける必要はあると思うけど。。

絵画に対する僕の思考ではなく、絵画という物自体の思考があるような気がしてしまう。
実際にあるんだろうけれど。
僕が絵画のことを考える事を止めても、絵画は考えられ続けてしまうので。
ただ、絵画の細胞としての役割もあるかもしれないと。。
(1段落目では「寄生獣」。2段落目では「まじかるタルルート君」と「ピンポン」を思い出した。マンガばっかり・・)
f0082794_1519418.jpg

選択肢が多いと決められない。
情報があってもなくても決められない。
決めても、不意のことに耐えられる柔軟性を持たなければならない。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-24 23:24
2010年 02月 23日

6点

理解するとはある物をある事から分離することだ。
いままで一つの認識で理解していたものを細分化することだ。

たとえば、東京に行ったことが無い人にとって、東京は大きな認識(記号)として日本の東京だが、いちど東京に来れば、日本から東京が分離され、それぞれの理解になる。
道路や駅や人や食事や夜景や川やタバコの吸殻や歩くスピードになる。

そのように物事は認識される。
f0082794_14503794.jpg

食堂でも、服屋でも、「最初に店員が話しかける」まではサービスだと思う。
「お客を認識している」という意思表示として。
そこで、客が控えめな態度をとったら、その後にグイグイ来る接待はサービスではない。
客が乗ったら、被せるのはサービス。
客が引いたら、触れないのがサービス。
同じ行為が逆の意味を持ってしまう。
ずっと着いて来られると、運転中後続車にあおられているような気持ちになってしまう。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-23 23:59
2010年 02月 22日

ムー

ある出来事に完全に符合する説明は面白くない。
そんなはずがあるのかと思ってしまう。
理論が込みで美しい場合もあるけれど、大抵は言語によって矮小化してしまう。
納得出来ない部分で、言語によって説明できない、もしくは言語にし難いものは多くある。
f0082794_12422353.jpg

もんじゃ焼きとお好み焼きでは完全にお好み焼きの方が美味しい料理だと感じてしまう。
これは、うどんとそうめん、たこ焼きと明石焼き、ホットケーキとワッフル等、他の似た粉物料理の差よりもかなり開きが大きい気がする。
食べる食べないは別にして。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-22 23:59
2010年 02月 21日

惑溺

日本人が陶磁器に惑溺したのは、宝石の出土しない地域に生まれたから
司馬遼太郎

この話とても好きだ。
宝石のように、分かりやすく美しい物がなくても、人は美しさを見つけてしまう。
宝石が出土しなかったから~というのは、ちょっと切なくて、いじらしいような感じがする。
f0082794_12252414.jpg

[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-21 23:59
2010年 02月 20日

でけでん

尊敬や同情や共感や愛情によって人間をつかむより、観察によって人間をつかむ方が、鋭敏でもあるし確実なことでもあるという考えがそもそも愚かな独断だ。
小林秀雄
f0082794_18523149.jpg

南方熊楠の研究者が熊楠を紹介する際に、「・・・自分に有用で無い物は『人生は忙しいのである』といって手をつけなかった~」というような言い方をしていて、確かに人生は忙しいのかもなぁと思った。
[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-20 23:59
2010年 02月 19日

原型

たとえば、生物には原型と考えられる形がある。
そのを少し知っていれば、たとえば犬と猫は間違えない。
しれは犬、猫とそれぞれそれである為の原型とも言える物を有しているからである。
だから、シェパードもパピヨンも柴犬も「犬」と認識できる。
虎は猫で、狼は犬なのだ。
バッファローは牛で、トナカイは鹿なのだ。
カミキリムシとハナムグリも間違えない。
美術も多分その作品、作家ごとに原型があるはずだと思う。
それを分類すると面白いかもしれない。
グループ展で名前を連ねる作家が同じ分類の作家か、全て違う分類の作家かとか。
f0082794_18392394.jpg

[PR]

by uchiumiinfo | 2010-02-19 23:59