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2006年 05月 31日

作業日々。

パネルの鋲打ち。
ドローイング。
時間がかかる。

体が細かい作業で硬くなったので、近所のプールへ行ってみる。
体力が落ちた事を実感。
たまに通おう。
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by uchiumiinfo | 2006-05-31 23:50
2006年 05月 30日

天気予報ハズレ

夕方から大雨ってTVで言っていたのに雷だけだった。
予報が外れるとちょっと残念なような不快なような気持ちになるのは、最新の知識が即否定されるからかしら?
折角未来が分かる能力を持ったのにって。
地図も知らない道の先に地図通りコンビニとかがあると予知能力のような気持ちになる。

消耗品と工具の買出し。
うまい具合に取り扱っていないから2つのホームセンターにまたがって商品取り寄せ予約をした。
取りに行くのが面倒。

近所の画材屋さんは行くとかなりの確立で不手際なり何なりで不愉快にさせられる。
電話対応も毎回マズイ。
考えるのが面倒。


小さなパネルに下地を塗る。
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by uchiumiinfo | 2006-05-30 23:50
2006年 05月 29日

954

ラジオで俳優のインタビューを聞いていて考えた事。

俳優(と一括りに言うのは乱暴だが)が話す言葉は抽象的だ。
表現としてアウトプットされるものの抽象度が高いからだろうか?
「なぜ、あの時(の芝居で)あんな動きをしたのか自分でも説明できないけれど、何かが降りてきた様に体が勝手に動いて云々~。」
という話をしていたが、ある事に対して明確な技術が確立しづらいものなのかしら?
喜怒哀楽と言っても、怒っている演技にただキーッってなれば良いわけでは無いだろうし、また喜怒哀楽のどれでも無い状態で日々暮らしている事が多いし、そこも含めて観られる(表現する)対象だし。

「怒っている様な悲しいような表情」という演技をする必要があったとして、怒っているような悲しいような表情を実際したとして、それが怒っているような悲しいような表情かどうかはどう評価付けるんだろう?

でも、少なからず僕たちはそんな作業を日常しているハズだ。


昔、丹波哲郎がテレビの前でいくつか同じセリフを繰り返し言って、「全て別の感情で演技した」みたいなことをやっているのを思い出した。
当時の僕は(多分今の僕も)それの違いが分からなかったし、違いが分かったとしても、それが感情の違いや良し悪しの違いに結びつかないと思う。

でも、感情の違いというものがある事は確かだ。
う~ん。言語化し難い。 


今日はドローイングと小品の加筆と図面引き。
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by uchiumiinfo | 2006-05-29 23:50
2006年 05月 28日

予定追加

グループ展が決定しました。

ふなばし現代美術交流展’06
2006年8月23日~9月3日
船橋市民ギャラリー
入場料300円

近づいたらまた詳細を載せます。


相当予定が詰まってきた。
正直焦る。
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by uchiumiinfo | 2006-05-28 23:50
2006年 05月 27日

僕の縦軸横軸、空間の縦軸横軸

自分の表現が一つの作品や一回の個展で全て出せるわけでは無いから、僕は僕の時間の縦軸を考えなければならない。
今の僕の作品が次の僕の作品に、数年後の僕の作品にどの様に繋がり、どの様に説明するのか。
今の僕の作品が過去の作品をどの様に変化させるか。

僕自身が絵画、ないし美術を全て表現できるわけでは無いから、僕は僕のいる時間の横軸を見渡さなければいけない。
今いる同時代の作家に期待もしているし、信用もしている。
沢山の作家間の関係性の中にしか僕は在りえないし、またそれを抜きに僕が美術を楽しみ続ける事は出来ない。

空間にも縦軸横軸はある。
過去、未来にその場で展示する作品との関係性無くして僕たちがそこになされる展示は無いし、それは同時代の他空間とも関係があるだろう。

僕の使用している言語も同じか。。。


今日はドローイングをした。
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by uchiumiinfo | 2006-05-27 23:50
2006年 05月 26日

ストライクになるボール

サッカーワールドカップが近いからサッカー関連のCMが多い。
もう日韓開催から4年。早い。

ナイキのCMで、「ゴールが美しいのではなく、シュートをするという行為そのものが美しい。」と言う様な内容の物が流れている。
この言葉自体はとてもカッコイイし、ナイキらしい前向きなメッセージがあって面白いのだが、これを曲解して美術(他のものでも)に当てはめ「じゃあどんどんガムシャラに描けば良いんだ。」と思ってしまう制作者がいそうなので考えたこと。

ここで「キック」ではなく「シュート」と言っていることが重要で、シュートって言うのは「思い切り振り抜いた足から放たれるボール」の事では無く、「ゴールに向かって飛ぶボール」なのである。
いくらうまくパスが回ろうと、素晴らしいドリブルで抜け出そうと、最後のキックによって飛んだボールの方向がゴールから90度、もしくは180度違って自陣へ蹴ってしまったとしたら、それは「シュート」とは呼ばれないだろう。
全く同じ足の振りで、全く同じ強度のボールが飛んだとして、蹴った本人もシュートのつもりでも、その球がゴールの枠とは言わなくてもゴールに向かって飛ぶ事が重要なのだ。

素晴らしい動きとか、美に向かう動きはやはりある程度ゴールに向かう動きなのだと思う。
美術のゴールはサッカーの様に四角くなかったり、点在していたり、不意にあったり、まだ見つかっていなかったりすると思う。そして常に移動もしている。
それでも、そのゴールに向かって蹴るものがシュートであり、良い作品につながるのではないかと思う。

移動していたり、見えない物にどう蹴りこむんだと思うかもしれないが、それは自分で設定し、自分で説得し、自分でそこにゴールがあることを見せる必要があるのだと思う。
作品で、言語で、行動で、ゴールを眼に見える様に形作り、もしくは蹴った方向にゴールネットを張る事が出来るのが美術なのだと思う。

じゃあ、今一番売れて、今一番大きなゴールの真ん中に蹴っている物が一番良い美術なのかと反論されそうだが、得てしてど真ん中のボールはキーパーに取られるし、ビューティフルゴールって臭いところに蹴りこんでいる。


サッカーならゴールに向かうボール、野球ならストライクになるボールというだけで、ど真ん中とは言っていない。

でも矛盾する様だがガムシャラに描く事はとても良い事だ。そのガムシャラに描く先にゴールを設定するという意識が出来るだけで、方向性が生まれる。

画家よ絵を描け。ってダリが言っていたよ。
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by uchiumiinfo | 2006-05-26 23:50
2006年 05月 25日

ウエーブ

またネットの波に飲まれてしまう。
必要な部品を探すのは大変。
ホームセンターで隈なく探す。
めぼしいものを購入。
実際使用してみる。
違和感を踏まえてネットで探す。
と言う流れなのだが、全然たどり着けないのか本当に無いのか見つからない。
ブクブクブクブク。。。。。
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by uchiumiinfo | 2006-05-25 23:50
2006年 05月 24日

言葉の視覚化

沢山の展覧会評を掲載するウェブサイト ex-chamber museum にて、幕内さんとのインタビュー(アートワークスギャラリー、水戸)がアップされています。
ご高覧下さい。
ex-chamber museum

ついでに2004年10月17日掲載の +かげいまりOLアート日記+ でもインタビューを掲載しています。

2年弱越しの発言が残るのは変な感覚。
自分の発言が文字化されると自分が発していたはずの言語なのに少し違和感がある。
その場の空気とか空間とか身振りとか表情って大切だと実感する。
少し離れてしまった感じ。
でもこんな風に作者の言葉が残るのは大切だと思うし、こんな活動をしている方々には頭が下がる。
幕内さんは本当によく作品を観ているなぁ。


この違和感と表現したのも悪い意味で言っているのではなく、先日の自分が行った講義で、発言する内容の大部分をを書いた原稿を持ってゆくと、「あまりそこまで原稿を作る人は少ない。原稿はキーワード程度の方が多い」と伺ったのだが、キーワードで即反射的に出る言語と、文章化した言語をまた推敲して文字化、言語化した物はまた違うと思うので(どちらが良いとかは無い)自分の言語も作品も色々アプローチ出来たら面白いと思う。

そうでないとこのブログも意味が無くなるし。。
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by uchiumiinfo | 2006-05-24 23:50
2006年 05月 21日

考察の流れ

桑原盛行さんのカタログを見ていて「ココが実制作者だ」と思った所。
桑原さんは《点の群れ》という作品の制作の流れを
構造の設定→点を円に置換→技法の練磨→直観力の醸成→循環的試作づくり
としている。
上記の中で、「技法の練磨→直感力の醸成→循環的試作づくり」の部分がすごく納得する。
桑原さんは作品をいくつかのシリーズに分け、各シリーズを数年間描いている。
その数年間描くことで技法は練磨され、その制作し続けた眼と手によって新しい感覚や色などの不意な手がかりに反応してゆき、また次の作品へ移行して行くのだろう。
思いつきで終始するのでは無く、思考と試作とそれに伴う技術向上を常に己に課すことで作品は出来るのだと桑原さんの作品を観ると実感できる。
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by uchiumiinfo | 2006-05-21 23:50
2006年 05月 20日

コーヒー

次にやるかもしれない展覧会の話し合い。
喫茶店で仕事の(まじめな?)会話するのって少々違和感。
そういうふうに出来ていないのだろう。
意思を疎通するのは難しい。
個々人が別の前提に立っているから。

駅内の喫茶店で会話したのでそのまま最寄り駅に戻るとsuicaで出られない。
最初に改札を通してから何分か過ぎると改札機からは出られない事を初めてしった。
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by uchiumiinfo | 2006-05-20 23:50